心岩寺の歴史

心岩寺について

画像:サンプル

心岩寺(しんがんじ)は、神奈川県座間市にある臨済宗建長寺派寺院で、建長寺第75世悦岩興惟(えつがんこうい)
禅師の法弟成英玉(せいえいぎょく)が開山し、この地の郷士白井織部是房(おりべこれふさ)が開基となり、白井氏の持仏堂を寺としたものである。山号は初め久光山心願寺、後に座間山心巌寺、江戸時代に座間山心岩寺と改められた。

歴史

新編相模国風土記稿

新編相模国風土記稿(巻之六十六 村里部 高座郡巻之八)に以下の記述がある[1]
「心巌寺 座間山と号す、臨済宗(鎌倉建長寺末)開山を成英と云ふ(文明十二年九月四日滅す、)開基は白井織部是房なり(法名心厳道誉文明元年五月四日死す)本尊釈迦を案ず(運慶作、長五寸五分、)」
「是房は心巌寺の開基にて、応仁文明頃の人なり、当時座間七村の地頭職なりしと伝ふ、」

文化財

  • 釈迦如来立像(座間市指定重要文化財)
    心岩寺の本尊で、平安時代末期から鎌倉時代初期の制作であると考えられる。造像当時は金箔押であったが、現在ではほとんどが剥落し、わずかに衣丈のひだに残るだけである。
  • 岩城常隆供養五輪塔(座間市指定重要文化財)
    岩城常隆の追善供養のために寺の住職が建立した。岩城常隆飯野平の城主で、1590年天正18年)小田原征伐の折り、石垣山本陣において豊臣秀吉に謁見し、許されて帰国の途中、この地で客死した。

心岩寺湧水

  • 寺の東側台地に縄文時代中期の遺跡が分布し、南方約100メートルに鈴鹿横穴群があることなどから、先史時代からの生活用水だったと考えられる。また、根下(ねした)の神井戸(かめいど)の水、谷戸山の水とあわせて「天水」と呼ばれ、入谷地区の水田の灌漑にも利用された。
  • 湧水が流れ込む境内の池は不動池と呼ばれ、滝のほとりには不動尊がまつられている。

お問い合わせ

お客様のご希望やお悩みに丁寧にお答えし、最適なご提案をさせていただきます。
お電話やメール、または下記フォームから、どの方法でもご連絡をお待ちしております。